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報告 2020年05月09日更新
【記録⑥ 手代木さんのこと 〜 感想】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-
※こちらの記事は【記録⑤ なりわい】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓としての続きです。
展示内に、本展覧会の写真を撮影した、故・手代木信成氏を紹介するコーナーを設けた。
手代木さんの略歴についてまとめた冊子の文章をお読みいただけます。
▽「手代木さんのこと」 下の画像をクリックすると拡大してご覧いただけます(PDF)
展示内に、来場者の方が書き込める感想ノートを設置した。
以下に、一部を抜粋して掲載する。
升沢をはじめて訪れたのは、船形スキークラブ(?)の企画が、年末〜正月の期間開かれ、仙台から大雪の中をスキーめあての時でした。種沢分岐を過ぎ、橋を渡ると、急な坂でしばらく上れなかったことを思い出します。船形荘の中二階でスライド(内容は忘れた)見て、地酒をいただいたこともありました。
吉岡でバスをのりかえて、沢渡で終点下車。ここからカタイジンまでの2km、さらに2kmで升沢でした。現代の秘境ですね。道も懐かしいなあ。あのころ生まれた子が今は40才前くらいかな?
たくさんの写真とともに、ゆっくりと文章を読ませていただきました。数十年前にこんな暮らしがあったなんて、、、。(中略)なりわいという言葉の意味を考えます。今ある「なりわい」と、山・村・人とともにあった「なりわい」。形がずいぶん変わりました。良い悪いではなく、大きな大きな変化を実感しました。生きることや暮らすことについて考える時間がこれからの人生に加わって、それがどんな変化を生むのか楽しみです。また来ます。(おじいちゃん、おばあちゃんに会いたくなりました)
とても貴重な資料と記録にふれ、こうしてアーカイブしていくことの大切さを再度認識しました。
詳しくは読み切れませんでしたが、現代の都会での生活で感じられない美しさや暖かさがあると思いました(思い出しました)。
都会とはまた違う風景、でもケイヤクの様ナ人との交わりは変わらず、すごくあたりまえで自然なことのように思いました。 横浜より
8日に、後白鬚経由で船形に登りました。頂上には少し前に降ったと思われる雪跡が残ってました。升沢に抜けるとこんな世界にがあったなんて想像にもつきませんでした。船形の養生は風が強くて寒くて、山小屋でおにぎりを食べ、実質定義のバス停までTotal8時間の道程でした。
祖母が大和町吉岡に住んでいます。以前、祖母が家の後ろにある住宅地は吉岡のずっと山奥の人たちが集団移転してきたんだよと子供の頃に教えていただきました。
風早峠のわき水は汲みに行くことがありました。その奥に集落があったことに驚きました。祖母とともにこの展示会を見させていただき、祖母もとても懐かしがっていたので、とてもいい時間を過ごせました。ありがとうございました。
手代木さんが亡くなって四十九日が過ぎた頃にこの写真の展示が始まったのは偶然ではないと思えます。右手が不自由で左手でカメラのシャッターを押していたこと、驚きました。生前(9年ほど前)のお姿は拝見していましたが、カメラで写真を撮影するのに片手だけでやっておられたこと、あらためてすごいと感じます。
私は吉岡村麓の生まれです。いまは仙台で暮らしていますが。70年前、吉田中の教員になりました(師範学校卒業です)。吉田中では家庭訪問で升沢にも行きました。5年5ヶ月の勤務です。本日の展示を見て、写真のすばらしさに心打たれました。記録されたのですね。私も教え子たちの卒業写真や修学旅行の写真があります。冬は中学ですから寄宿舎がありましたし、民家に寄宿したりする人もおりました。写真展を見学して70年前の景色が思い出されます。私は長生きしましたが、これから吉田生まれの人が来られることを願います。
偶然この展示と出会いましたが、とても興味深く見入ってしまいました。私の暮らす地域(若林区)のかつての暮らしの記憶も、みなさんまだお元気なうちに聞いておきたい、、とあらためて思ったところです。
どこかで途切れた暮らしをこうやって収集保存することやその資料の価値を再確認しました。失うとわかっていたから収集できたのかもしれませんね。
大変懐かしく拝見しました。升沢分校閉校式まで勤務しました。親戚の方々の若き日の姿に涙し、写真展を作成してくださった方々に感謝です。
船形山登山の折に升沢集落の方々には大変お世話になりました。
なつかしいの一言です。私も小さな頃に升沢に行き川であそび、山で木の実をとり、クマやたぬきやうさぎに出会い、本当に楽しい思い出です。こんな小さな集落をこのように大きくあつかってもらえてうれしかったです。写真もなつかしい人々がいました。ありがとうございました。
70年前の話。高校卒業して間もなく、友人たちと4人で船形山登山を計画し、実行した。午後、升沢分校にたどりついた。「これから頂上を目指すには、時間的に少し無理がありますよ」と分校の先生に言われた。「分校に1泊して、明朝出発しなさい」と。親切な先生で、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
先生の助言を聞かず、頂上を目指した。頂上のすぐ手前に山小屋があるはずである。夕暮れのため見つからず、暗くなり、頂上の社に4人が重なり合うように一泊した。翌日下山、猛烈な雨。簡易テントを4人でかざし下山した。危険なことでした。青春の思い出です。升沢生まれのものです。主人は昔、1本ぞりで山から木を運んだりしていました。山に泊まって仕事をしていました。私の母もなくなって今はいないですけど、ここに来たら写真がありました。なつかしいことを色々と思い出しました。写真もとりました。家に帰ったらみんなに見せようと思います。ありがとうございました。
初任地が升沢だったので、とても懐かしく拝見しました。早坂林右衛門さん、伊太郎さんにもお世話になりました。車にひかれたヘビ(マムシが一番おいしいと教えてもらいました)を持って行くと、すぐに皮をむいて炭をおこし、焼いて食べさせてくれました。また、仕事中やけどをした時、林右衛門さんがすぐ家に連れて行ってくれ、床下から熊の油を出して塗ってくれましたが、あっという間に痛みが引いたのに驚いたのをおぼえています。厳しいながら豊かな暮らしが失われてしまったのは寂しいですね。
升沢で働いた5年間、とても楽しかった。マムシ酒作って、熊と出会って、カノカ炒めて食べて、ミズにシドケ、冬は腰まで雪に埋まってクロカンで林道歩いて。カメムシとスギ花粉は大変だったけど。
私は約40余年前に升沢の地をおとずれ、船形荘に泊まったことがあります。自然の恵みが朝食、夕食に並び、地域の方々の生活の中でみがかれた生活技術に心をが暖められました。また、木々の香り(自然の香りと言うべきかもしれませんが)が、朝と夕方でも季節でも違いのあることを知ったものです。いつの日か、あの値の美しさ、優しさをさがしにでかけたいと思います。
時折、「昔、升沢に住んでいた」という方にお会いすることがあります。いまは建物もほとんどなく、昔の光景が想像もできませんでしたが、こちらを拝見して、たしかに昔生活していた方々がいらっしゃったんだなと実感できました。ありがとうございました。
15才まで、升沢に住んでいました。今日は3姉妹、夫婦で来館しました、若い頃の両親の写真と対面、とても貴重なひとときが過ごせました。ありがとうございました。
平成15年頃でしたか、山の調査に行く途中、升沢の集落跡を通りかかり、石垣やポツンちある柿の木などに、かつての人の生活を想像したものでした。そのときは少し悲しい気持ちでしたが、写真を見て、想像以上に裕でたくさんの人たちが暮らしていた様子を知ることができました。ありがとうございます
それにしても、先祖代々の屋敷や田畑を捨てなければならなかった住民の皆さんの思いを考えると、言葉がありません。
生まれも育ちも升沢。夢にまで見た升沢の風景、なつかしくて涙が出ました。年に何回か升沢に足を運んでいます。風景は写真でみる升沢とは全然違います。むかしの生活がなつかしいです。このような写真ありがとうございました。
展覧会の記録は下記のとおり、6つの記事に分割して掲載しております。ぜひ、ご覧ください。
(本記事は⑥となります)
【記録① 全景〜水切落】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-
【記録② 山】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-
【記録③ 村】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-
【記録④ 人】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-
【記録⑤ なりわい】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として
【記録⑥ 手代木さんのこと 〜 感想】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-