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プロジェクトリスト | 失われた村の風景を記憶しなおす

2020年05月09日更新 報告 【記録② 山】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-

こちらの記事は【記録① 全景〜水切落】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-の続きです。

「山」全景写真

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山と向き合う

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 雪をかぶった茅葺民家の奥に船形連峰の峰を望む。升沢で一棟だけ残っていた茅葺屋根のままの家。棟にはりだした煙り出しと、家を囲むイグネ(屋敷林)の杉林が見える。 

〈記録者の言葉〉

 升沢は、山襞をわけいった最奥の村である。そうした山にかこわれた中で人が生き抜いていくためには、山の厳しさと恵みとに向きあい、山と村と人とが折りあう形のなりわいを、つねに求め続けなければならない。
 升沢地区は船形連峰の東斜面、荒川の河岸段丘上の狭い平坦地に位置し、標高は250メートルから400メートルに及ぶ。そのため夏の気候は肌寒く、冬に降り積もる雪はことさらに深い。村は落葉広葉樹の広大な森林にかこわれ、そこにはさまざまな動植物が棲む。船形連峰の峰から流れくだる水を集めた豊かな河川に沿い、崖からの湧水にも恵まれている。
 升沢の人々はムラの屋敷に暮し田畑を耕し、そのまわりのヤマから薪炭などの燃料と鍬・臼などの手作りの道具のために、いろいろな木々をつねに伐り出し、時節には山菜・茸・蔓・皮・草などを採りに、年間を通して出入りした。そうした人が手をかけてあつかうヤマのさらにまわりには、広々とした手つかずの原生林が広がっていた。人々はそこをオクヤマと呼び、ウサギ・アオジシ(カモシカ)・クマ・バンドリ(ムササビ)などを求めて、鉄砲撃ちの男たちが森の奥に分け入った。

〈土地の人の言葉〉

PDFファイルでご覧ください → 土地の人の言葉「山とむきあう」.pdf

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雪にかこわれて

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もう少しで雪に埋まってしまいそうな墓石。黄色い菊の花が一輪、墓に向かって雪の上にいけられていた。

〈記録者の言葉〉


 升沢の雪はとても深い。「一里一尺」といい、山奥へ一里(四キロ)ふみこむごとに一尺(約三〇センチ)ずつ雪の深さが増す。いまでこそ雪も半分ほどになったが、かつて多い年は十尺(約三メートル)ほども積もったという。
 雪のない時期には田畑の仕事もできるが、雪に降りこめられる冬は、もっぱら木伐り・炭焼きなどの山仕事と、ウサギ・クマ・ヤマドリ・ムササビなどを狩る鉄砲撃ちの季節である。
 かつて下原の子どもたちは荒川にかかる丸太橋を渡って升沢分校に通っていたが、雪が降り続くと川を越えられず通えなくなった。一方、伐りだした材木を着けたソリや、山で撃ったクマは、雪の上だからこそ走らせて(滑らせて)運ぶことができた。

〈土地の人の言葉〉

PDFファイルでご覧ください → 土地の人の言葉「雪にかこわれて」.pdf

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川 山と里とをつなぐ

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 船形山東麓から流れくだる荒川の清流。かつて山から伐りだされた薪木は、増水した荒川の流れに乗って色麻まで運ばれた。

〈記録者の言葉〉


 荒川は、一年を通じて豊かな水量を保ち、とくに毎年田植えをひかえた五月には、雪代水(ゆきしろみず)と呼ぶ雪解け水で流量がふくれあがる。升沢から吉岡・色麻への道が、トラックはおろか馬車も通えない険路悪路であったころ、伐りだした薪木を大量に運ぶ手立ては、荒川の木流し以外にはなかった。
 升沢集落は南に荒川、北に升沢川が流れる河岸段丘上に営まれていた。荒川は深い谷をきざんで、谷底から段丘上の村に水をひくことは難しい。人が生きるための生活用水も、田畑をうるおす農業用水も、段丘上を流れる升沢川の堰から水路でみちびかれ、ムラの家々と田畑をめぐっていた。
 升沢の人々は、大人も子どもも川漁、「魚っこ捕り」が大好きだった。小学生が学校をさぼって山川ですごすことを「山学校」「川学校」と言いならわしていた。

〈土地の人の言葉〉

PDFファイルでご覧ください → 土地の人の言葉「川山と里とをつなぐ」.pdf

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山に棲むものたち

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 新雪の上に残された足跡。 男たちが鉄砲を肩に山に入ると、まず探すのが雪の上の動物の足跡である。どんな獲物がいつごろどちらへ移動したか、その足跡から読み取る。

〈記録者の言葉〉


 山では人を含めてさまざまな生き物が必死でいのちをつないでいる。そのためときに、それぞれ生き抜くためにさまざまな形でかかわりあう。
 里では作物を荒すのはサルやイノシシだが、升沢ではその主役はクマがつとめる。庭のスカンポや畑のカボチャ、裏山のクリなどが好物。イネの穂が色づいてくると、イネを丸く座布団のように倒し、尻が濡れないように下に敷いてから、じっくり熟した米を食べていくという。

〈土地の人の言葉〉

PDFファイルでご覧ください → 土地の人の言葉「山に棲むものたち」.pdf

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山にひそむ不思議

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 厳冬期の雪におおわれた升沢の水田から、船形連峰の尾根を望む。峰は雪煙でかすんでいる。

〈記録者の言葉〉 

 人々が出入りする林のまわりは、手つかずのブナの原生林だった。そうした奥山では、ときに不思議な体験をすることがあった。冬のウサギヤマ(集団のウサギ狩り)で仲間にはぐれ、吹雪の泉ヶ岳で白髭の翁に出会い、翁の髭をさずけられた男は、升沢旧家を実家とする話者の祖父にあたるという。その話者は若いころその髭として伝わる実物を目にしている。
 また三本桜沼には大ウナギが棲むとも、大蛇が棲み、沼からあがって升沢の旧家のものを訪ねたとも伝える。その日は雪の日だったが、雪の上には小さな猫の足跡が残っていたという。

〈土地の人の言葉〉

PDFファイルでご覧ください → 土地の人の言葉「山にひそむ不思議」.pdf

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山への祈り

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 船形山中腹の三光の宮に立つ石碑。升沢登山口から山頂を目ざす道に、三光の宮と呼ばれる展望所がある。石碑には日・月・星の三光と御幣が刻まれている。

〈記録者の言葉〉 


 船形連峰は、船形山を主峰として四方に数多くの山を配した火山群である。船形山は宮城県側からの呼び名で、山形県側からは御所山と呼ばれている。船形山を源流とする河川は四方に流れ下り、流域を潤す水源の山として広く信仰されてきた。
 出羽羽黒の山伏たちが、船形山をも修行場としていた名残が、山中の地名や神社などに残されている。升沢でも、羽黒山は「東のお山」、船形山は「西のお山」と伝えている。

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展覧会の記録は下記のとおり、6つの記事に分割して掲載しております。ぜひ、ご覧ください。(本記事は②となります)

【記録① 全景〜水切落】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-

【記録② 山】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-

【記録③ 村】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-

【記録④ 人】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-

【記録⑤ なりわい】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として

【記録⑥ 手代木さんのこと 〜 感想】展覧会 黒川郡大和町升沢のくらし 〈なりわい〉が結ぶ山・村・人 -移転集落の風景を記憶の窓として-